おもしろきこともなき世をおもしろく~コレラによる劇場閉鎖時に生まれた名曲~

2月も最後の一日になってしまいました。

コロナの一件は世界中で話題ですが、ここ数日の状況が音楽業界にとってはあまりにも深刻です。

私自身もイベントキャンセルにより収入減。

 

SNSを開くと《中止》と《延期》の文字ばかり並んでいて、悲しくなります。

ただ、悲しい気持ちの中にいても仕方ないので、何か面白いことを探して暮らしたいなと思うばかり。

 

なんか面白いことないかなぁ…

…と脳内を散歩していたところ、昨年のコンサートで作曲家のドニゼッティについて調べた時の内容を思い出しました。

 

当時のブログ記事を早速検索…。

 

余談ですが、このブログに人知れず《月間アーカイブ》《検索》の機能ができました。

 

今までに書き綴った記事を振り返りやすくなればいいなとのリクエストを叶えていただいた結果。

私しか使わないかもしれないけれど。笑

色々自粛で暇になった方は遊んでみてください。

 

ご対応くださったT2Japanさん、ありがとうございました!

T2Japanさんが舞台人・アーティスト向けに展開されているサービスも宣伝しておきますね。

住所代行

(↑住所代行は「楠野麻衣 音楽事務局」として私も活用させていただいてます。)

 

さて、本題に戻りまして、私が探していたのはこの話。

 

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「ポジリポの夏の夜」という歌曲集が出版されたのは1836年。

ドニゼッティ39歳。

 

当時のドニゼッティは、たった3か月の間に父と母、そして未熟児で生まれた娘さんを亡くします。

そして7ヶ月半で流産した奥様が重体。

(この翌年、二人目に続き3人目の子どもと奥様が他界…)

家族の訃報に続き、仲の良い友人も世を去る。

仕事上でも自分の作品が偽装される事が続いたとか。

 

その上、当時のイタリアではコレラが蔓延した為ナポリの劇場が閉鎖される事態。

オペラ作品を多く書いたドニゼッティですが、その劇場が閉鎖されている期間には室内楽曲を書いたそうで、「ポジリポの夏の夜」もその中の一つ。

 

その時期の作品というと、深く沈んだ音楽かと思われますが、残された音楽は明るく軽やかで楽しい曲ばかり。

辛い時期だからこそ明るいものを書きたかったのかなぁ。

 

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病気が蔓延すると感染防止のために劇場を閉鎖する(イベントを取りやめる)ということは、これまでにも繰り返されてきたことなのですよね。

 

まさか自分が生きる世でそんなことが起こるとは思っていなかったけれど。

 

その頃ドニゼッティが書いたこの歌曲集「ポジリポの夏の夜」で一番有名なのは、おそらくこの曲。

 

みんな大好きパバロッティ。

今年私の中で密かなるブームを起こしているバルトリ。

「椿姫」で東京にくる予定がこられなくなったエヴァ・メイ。

同じ曲でも全然違う3人。

 

さらに興味深いのは、ドニゼッティの歌曲集「ポジリポの夏の夜」を、後にフランツ・リストがピアノ曲に編曲しています。

少し聴いていただければわかるはず。

 

もしコレラによる劇場の閉鎖がなければ、これらの作品は生まれていなかったかもしれません。

知らんけど。

 

(しまった。ナチュラルにダジャレた…。)

 

 

 

もう仕方がないことは仕方ないと受け入れつつ、おもしろきことのなき世をおもしろく生きられたら良いなぁ、と思う今日この頃。

 

みなさまの健康をお祈りしつつ。

 

今日も歌って参ります。

 

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